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講師紹介

                 

近畿未来塾 名誉塾長 大竹美喜

財団法人国際科学振興財団 会長
アフラック 創業者・最高顧問

 広島県庄原市生まれ。広島農業短期大学(現・県立広島大学)卒業後、米国留学。1974年11月 アフラック(アメリカンファミリー生命保険会社)を日本に設立。副社長、社長、会長を経て、2003年 創業者・最高顧問に就任し現在に至る。日本で初めて「がん保険」でスタートした同社を、国内最大級の外資系生保に成長させた。本業のかたわら、筑波大学経営協議会委員、国連大学協力会評議員、広島大学特別顧問他、多数の大学で理事等を務め若者の人材育成に注力。また、国際科学辰興財団会長、産経新聞社社外取締役をはじめとする諸団体の役員を兼任。東京都社会福祉協議会会長を歴任するなど、国民の豊かな生活に向けてさまざまな提言を行うとともに、ニュービジネスの育成にも尽力している。

近畿未来塾 塾長 吉澤 健

元四国大学教授

 滋賀県大津市生まれ。1962年 滋賀県立膳所高校卒業。1966年 東京大学法学部を卒業し、同年4月 旧自治省入省。
 1977年 自治省官房文書広報課課長補佐、1984年 大阪府財政課長。その後教育次長、総務部長、副知事、2001年 四国大学経営情報学部教授。2009年より同大学講師。

織田善行

アドベンチャーコーチング株式会社 社長

 広島県尾道市出身。広島大学付属福山高校卒業、東京大学文学部社会学科卒業、明治安田生命入社後 アメリカンファミリー生命保険会社に転職。取締役人事部長および常務取締役を歴任。TPIジャパン社長を経て、現在、アドベンチャーコーチング株式会社 社長。
 著書に、『メンタルマネジメント』(総合法令)、『可能性を拓く心の法則』(ビジネス教育出版社)、『人生にイエスというためのパーソナルコーチング』(ビジネス教育出版社)

前田嘉昭

大阪教育大学 講師
前大阪府立阿倍野高等学校 校長

 大阪市で生まれる。1970年3月、東京教育大学(現の筑波大学)卒業、同年4月、大阪府教育委員会に大阪府公立高校教諭として採用され、大阪府立阪南高校に勤務。1979年4月 大阪府教育委員会保健体育課の指導主事、1988年 大阪府生活文化部青少年課参事として勤務。1989年4月 大阪狭山高校校長、2005年 大阪府立阿倍野高校校長を経て、2006年3月末に定年退職。1979年から2006年まで、財団法人全国高等学校体育連盟、日本ラグビーフットボール協会等の役員を務める。

チャールズD.レイクII

アフラック 日本における代表者・会長

 アメリカのサウス・カロライナ州生まれ。父はアメリカ人、母は日本人。3歳から15歳まで東京で過ごし、日本の義務教育を受ける。中学校卒業後はハワイの高校・大学へ進学。その後、アメリカの首都、ワシントンにあるジョージ・ワシントン大学法科大学院へ進学し、法学博士号を取得。卒業後は、政府機関の1つである米国通商代表部(USTR)で、日本政府と通商交渉を行う仕事に携わる。
 その後、法律事務所で弁護士として働く。アフラックには1999年に入社、社長、副会長を務め、現在は会長を務める。
 その他、東京証券取引所の社外取締役を務める他、様々な企業の経営者が集まり経済問題を中心に提言活動を行う団体、経済同友会の仕事にも携わっている。

大川哲次

弁護士

 三重県尾鷲市生まれ。弁護士(よつば法律事務所所長)。民事事件や刑事事件などを扱う。刑務所や少年院においてボランティアとして受刑者、少年たちの指導・教育にあたる篤志面接委員を務める。現在、日弁連犯罪被害者支援委員会委員、日本市民安全学会理事、大阪被害者支援アドボカシーセンター理事、NPO法人アクト情報交流副理事長などを務める。司法修習生時代から、食文化、自然との出会いを求めて日本・海外の旅を続けており、日本百名山全山登頂を達成。全国にまんぷく会をつくり全国食べ歩きを続けている。

黒岩祐治

フジテレビ解説委員、キャスター

 神戸市出身。灘中学・灘高校卒業後、早稲田大学政治経済学部へ入学。80年大学卒業後、(株)フジテレビジョンに入社。報道局で政治部・社会部の記者、番組ディレクターを経て、88年「FNNスーパーニュ−ス」。92年より「報道2001」キャスターに。97年〜99年ワシントン駐在。帰国後、「報道2001」に復帰。現在「新報道2001」担当。自ら企画・取材・編集まで手掛けた救急医療キャンペーンが救急救命士制度につながり、第16回放送文化基金賞、民間放送連盟賞などを受賞。
 ミュージカル「葉っぱのフレディ」のプロデューサーも務める。著書に『末期ガンなのにステーキを食べ、苦しまずに逝った父』(講談社)『日本を再生するマグネット国家論』(新潮社)『恩師の条件』(リヨン社)『夢を実現するチカラ』(扶桑社)などがある。

水野彌一

京都大学アメリカンフットボール部 監督

 京都府生まれ。戦闘機のパイロットをめざして防衛大学に入学し、同校アメリカンフットボール部に入部するも、腰を痛めて志を断念。1年浪人の後、京都大学工学部に入学し、同校アメリカンフットボール部に在籍。1968年 トヨタ自動車工業株式会社に入社。1971年 コロラド・スクール・オブ・マインズ大学院入学。1974年 株式会社スズキインターナショナル入社。1965年から京都大学アメリカンフットボール部コーチに就任し、1980年から現職。選手としては、甲子園ボウル(大学選手権)優勝6回、ライスボウル(全日本選手権)優勝4回など。

田中紘一

財団法人 先端医療振興財団 先端医療センター長

 大分県生まれ。現在京都大学名誉教授、先端医療振興財団先端医療センター長、神戸市立医療センター中央市民病院技術顧問を務める。1966年京都大学医学部卒業。卒業後は当時の青医連運動に賛同し、島根県立中央病院にて地域医療に情熱を傾けた。その後、京都大学に戻り、移植の道を歩み続け、わが国の移植医療を推進してきた。1995年より 京都大学大学院医学研究科移植免疫学講座教授、2001年より2005年まで京都大学医学部附属病院病院長を務める。2004年に、京都大学での生体肝移植の実施が1,000例を超えるとともに、小腸移植、膵島移植も実施した。京都大学では、世界から200人の移植医を迎え入れ、指導し、10カ国の移植医療の立ち上げに貢献した。2005年より神戸に移り、先端医療の推進、橋渡し研究の実現に邁進するかたわら、国内、海外での移植医療の教育に尽力している。

下垣真希

ソプラノ歌手
金城学院大学音楽講師、名城大学ドイツ語講師

 愛知県立芸術大学卒業後、国際ロータリー財団奨学生としてケルン国立音楽大学に留学。ドイツ国家声楽教授資格を取得し、同大学卒業。冷戦時代からベルリンの壁崩壊までの激動期にドイツ国際ラジオ局でDJを務める。帰国後、国内外のオーケストラと共演するほか、ひとりオペラ「女はすてき」を全国で公演。2000年、アジア代表としてドイツ・ハノーヴァー万博閉幕式で独唱。「カリスマ的」「非凡な声の芸術」とドイツの新聞で絶賛される。
 近年は日本の美しさや命と平和の尊さを伝えるメッセージ性の高いコンサートや、生演奏を取り入れた講演で全国的に感動の輪を広げ、高い評価を得ている。自ら手がけた歌と語りの作品「わが心の歌 長崎の鐘」を、永井隆博士生誕百年記念に長崎市平和会館で公演。コンサート活動の他、名城大学大学院で多文化共生論と、ドイツ語の教鞭をとっている。2008年 愛知県の芸術分野最高の「愛知県芸術文化選奨文化賞」を受賞。

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